御水撫でや東御廻りの御用水が汲み上げられた霊泉。御殿山に舞い降りた天女の御子の産井とも伝えられ、人々の憩いの場としても親しまれる。
聞得大君の御新下りのときに、霊力を得る儀式・御水撫でが行なわれた霊泉。
琉球国由来記によれば、御殿山に舞い降りた天女が御子を出産したときに、この親川の水を産井(うぶがー)に使ったと伝えられている。
与那原の民話には、与那原の裏山で与那原小浜の初日の出を拝んだ国王が、ここ親川で手足を清めたという話もある。
王府と密着した聖地である一方で、ここは古くから与那原の人々にとっても貴重な飲料水や生活用水、正月の若水や子どもの産水を汲む井泉(かー)でもあった。
現在、井戸跡には拝殿が建てられ、親川広場として整備されている。ガジュマルやデイゴの樹木に囲まれた広場は、人々の憩いの場として親しまれ、
与那原の代表的な行事である大綱引きも、ここから始まり、ここで終わる。
コメントを残す